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  • 天福元(1233)年、三州安城村の城主、安藤権頭が親鸞聖人に帰依したことに始まる。新潟へは、慶長年間に安宅関より多くの壇中と一緒に移ってきた。当時、勝楽寺を守った武士団の鎧や槍を保存している檀家も多く、その品々が当時を偲ばせるという。江戸から明治への転換期には、会津軍事顧問のスネイルが宿泊して指揮をとった。アメリカ軍公使やフランス軍艦長などとの会見にも使われ、西洋料理が供されたという。開港にともない、イギリス領事館も置かれた。幕末の激動期を見守ってきた本堂も、明治13年の大火で焼けました。檀家さんのほとんどが焼け出された中、10年かけて再建されましたが、住職、檀家さんともに大変な苦労があったようです。幕末に町会所にあった「時の鐘」も明治6年に勝楽寺に移されたのですが、戦時の金属拠出で失われました。その後、檀家さんによって寄進されたのが現在の梵鐘です。勝楽寺には、報恩講や春秋の彼岸など法要の際に雅楽を奉納する雅楽会があります。(雅楽会について詳細は獅子吼雅楽会を参照ください)春の観桜雅楽会、市民音楽祭や知人の結婚式、施設の慰問演奏などでも古式ゆかしい装束に身を固めた雅楽を演奏し喜ばれている。境内は、四季を感じさせる庭園や桜の名所として知られており、訪れる人も多い。